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Amazon : 鉄腕ゲッツ行状記 図書館で発見し、書名に惹かれて読んだのですが、なかなか興味深い本でした。16世紀の神聖ローマ帝国で活躍した、というより暴れ回った騎士ゲッツ・フォン・ベルリンゲンの回想録です。「鉄腕」とは、味方の誤砲撃によって若くして右手首を吹き飛ばされ、精巧な鉄製の義手をつけていたためについたあだ名で、ゲーテの戯曲「鉄腕ゲッツ・フォン・ベルリンゲン」によって、(少なくともドイツでは)よく知られて愛された人物です。一説によれば、「ベルセルク」の主人公ガッツのモデルとも言われています。ただし「農民戦争」で貧しい農民のために最後まで戦って死むという戯曲の筋とは違い、豊かな都市や大貴族に言いがかりをつけて襲撃を行い和解金をせしめる「フェーデ」(私闘)で荒稼ぎして財産を築いた、正に「盗賊騎士」がその実態でした。 フェーデは、本来はゲルマン法にあった「自力救済権」に基づいて豪族間の争いを力で解決する正当な行為でしたが、後に一部で拡大解釈され、相手方に属する旅人を襲い人質にして身代金を要求する強盗行為と化していました。その結果1495年には帝国議会によってフェーデは犯罪と規定されたので法的にみてもゲッツは犯罪者であり、教会から破門されたりしています。しかしそれも彼にとっては何という事もなかったらしく、その後も皇帝に劣らぬ権力者であるマインツ大司教相手のフェーデでその顧問を人質にして、生涯最大の身代金を手に入れています。 フェーデに関してはほとんどその罪を問われる事の無かったゲッツですが、1524--25に起こった農民戦争では無理やり農民軍の隊長に担がれ、途中で離脱するものの農民軍の壊滅後に責任を問われて有罪判決を受けて二年間幽閉される羽目になります。釈放後も長期にわたって軟禁状態に置かれるものの遂には名誉回復され、1562年に80歳を超える天寿を全うしました。 このように現在の基準のみならず当時においても立派な「犯罪者」だった彼が後にドイツ人のヒーローとなるのは、日本で言えば国定忠治や清水の次郎長などの博徒が人気者となっているようなものでしょうか。 なお、ゲッツが晩年に住んだネッカーツィンメルンにあるホルンベルク城は現在一部が資料館となっており、そこに彼の義手も展示されています。本書にも義手の図解がありますが、左手で指を折り曲げればしっかりと掴む事ができ、ボタンを押せばばね仕掛けで曲げた指がまっすぐに戻るというもので、その精巧な作りに驚かされます。 |
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